先週末、職場の同僚の方が、原発から半径30Km内にある南相馬市へ支援物資を届けに行っていました。
今日、その報告を職場で聞いたのです。
その中で、かなり衝撃的な話を聞きまして。
どうしても書かずには居られなくなりました。
内容は小説家になろうの活動報告に書いているものと一緒です。
長い文章ですが、一人でも多くの方に目にしていただきたいと思っています。
今日で東日本大震災から1ヶ月経ちました。
私の職場の同僚の方が、原発から半径30Km圏内である南相馬市への救援物資を届けに行くということで、先週末、有志でお金を出し合って支援物資を準備しました。
無洗米50Kg、カップ麺、レトルト食品、缶詰、ベビーフード……
あくまで個人が集めた物資。金額にして5万円超ぐらいですので、それほど大量ではありませんでしたが、それでも精一杯の心遣いでした。
お金は職場の人たちが出しあい、私のチームのリーダーが自分の車を出して、奥さんとあちこちのお店を回って買い集めてくれた物資です。
それらをその同僚の方がバンに積んで南相馬の支援センターまで運んでくれました。
彼女が南相馬の支援センターに到着して、まず一番驚いたことは。
物資を集めているセンターにすら、ほとんど物がない、という事だったそうです。
原発からの自主避難地域。
物資を届けるトラックすら、なかなか来てくれないのだとか。
彼女も個人で友人に別途物資を持っていったのだそうですが、物資を受け取った友人は
「ありがとう。ありがたくみんなで分けて食べるね」
と、そう言ったそうです。
テレビではあれほど、多くの物資が集められているにも関わらず、その手が届いていない人たちがまだまだこうしているのです。
また原発の周辺の地域では農作物の風評被害で苦しんでいますが、彼女が現地の被災者の方たちから直接聞いたことによると、何よりも辛いのが、避難地域に住んでいる、と言うことで受ける差別だというのです。
それは県外に限らず、なんと同じ福島県内の人たちからもそのような目を向けられるのだというのです。
何も悪いことをしていない、彼らだって被害者であるにも関わらず、ただそこに住んでいたというそれだけで、差別の目を向けられ、子どもが苛められるのだと。
私は彼女が直接被災地で撮ってきた写真を拝見しました。
物資の無い支援センター、役所に貼られた安否を尋ねるたくさんの張り紙、そして住民を励ますことばの書かれた張り紙……
テレビで見るよりもはるかにリアルな現実がそこにありました。
職場で見ていたにも関わらず、思わず目頭が熱くなったほどです。
この記事がどれだけの方の目に留まるか分かりません。
でも、どうか見た方々にお願いします。
原発の周辺地域に住んでいる方々も被災者で、原発のなによりの被害者です。
そんな方々に差別の目を向けるようなことは、しないでください。
苛められる子どもを、見過ごさないであげてください。
相馬市がふるさとである同僚の女性はこうメールに書いていました。
首都圏には原子力発電所は存在していません。けれど、首都圏で使われている電気は、福島を始めとした、原子力発電所で作られているものなのです、と。
私たちが、今こうして電気のある生活を送ることができているのは、福島原発をはじめ、多くの原発を悩み苦しみながらも受け入れた地域の人々のおかげです。
私もかつて青森に住んでいたころ、原発は身近なものでした。
恐ろしかったし、それが建つ事に多くの反対運動が起こっていました。
それでも、原発は日本の発展には欠かせないものだったから。受け入れざるを得なかったのです。
そんな中、原発の危険性を知りながら、するべき安全対策を怠った東電の姿勢は、本当に許されざるものだと思います。
ですが。
原発のある地域に住む人々には、なんの罪もないのです。
震災は天災ですが、私は原発事故は人災だと思っています。
日本人にとって、ふるさとと言うのはとても特別なものだと思います。私にとってもそうです。
福島の方々は天災によって住む場所を奪われ、人災によって心の拠り所であるふるさとまでも奪われようとしている。私はそう思えてなりません。
私自身もまた、被災した方々の本当の辛さ、苦しさは決して理解出来ないと思います。
けれど、それでも。
理解したいという思いは捨てたくありません。思いやる心を持っていたいと思っています。
この記事を目にしてくださった一人でも多くの方から、原発で苦しんでいる人たちへの差別の目が無くなることを祈ってやみません。
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